江戸期の庶民制度                                    江戸と座敷鷹TOP   江戸大名公卿TOP

 

81、人相書を以御尋に可成もの之事
(寛保2年極)
○公儀へ対し候重き謀計
(同)
○主殺
(同)
○親殺
(同)
関所破り
(同)
○人相書をもって御尋ねの者を存じながら囲い置き、又は召し仕い等に致し訴え出ざるもの→獄門
 但し存じながら請けに立ち候もの同罪、吟味の上存ぜざるに決まり候とも主人請け人ともに過料


82、科人欠落尋之事
(享保11年極)
○主人を家来に
(同)
○親を子に
(同)
○兄を弟に
(同)
○伯父を甥に
(寛保2年極)
○師匠を弟子に
 右の類へ尋ね申し付けまじき事
(寛保2年極)
○事を巧(たく)らみ人を殺し候もの、又は闇討ち、或いは人家へ忍び入り人を殺し欠落いたし候はば、先の近き親類の内一人に入牢申し付けべし、尋ねの儀は三ヶ月尋ね出さざるに候はばなお又百日限り尋ね申し付け、尋ね出さざるにおいては尋ね申し付け候ものの内にて近き続きの者を中追放、残りの者は過料の上、永尋ね申し付けべく候
 
 但し欠落のもの親類これ有り候えども子方の者に候はば右の内先の一人に入牢申し付け、欠落ものの店請け人並びに家主五人組、在方にては名主組頭等に尋ね申し付け、尋ね出さざるに候はば親類は出牢させ、尋ね申し付け置き候ものどもは過料の上、永尋ね申し付けべく候、かつ又親類一人これ有る親方のものに候はば右の者ども一同に尋ね申し付け尋ね出さざるにおいては、親類は中追放、其の余(ほか)の者ども過料の上、永尋ね申し付けべく候
(享保5年極)
○喧嘩口論にて人を殺し欠落致し候もの、尋ねの儀六ヶ月の内尋ね申し付け尋ね出さざるに候はば過料の上、永尋ね申し付けべく候、尤も御仕置のもの一件の内欠落のもの六ヶ月を限り尋ね出さざるに候はば、残りの者は御仕置申し付けべく候
(寛保2年極)
 但し親類は入牢や預等の沙汰に及ばざる事
(追加)(延享4年極)
○欠落のものこれ有りて、一件の内右欠落のもの尋ね申し付け三十日ほど見合い、尋ね出さざるに候はば欠落のものに拘らず、(一件に関係し尋ね申し付けられた)当人の白状いたし候分は御仕置申し付けべく事

※註
子方・親方=子方は子、弟、甥、弟子を指し、親方は親、兄、伯父、師匠を指す、主従関係を基盤にした社会だから、すべてを主従関係に置き換える、子に親を尋ねさせず、弟に兄を尋ねさせなかった、罪を犯した尊属でも探し出させることは倫義に背くと考えたのであろう


83、拷問可申付品之事
(享保7年極)
○人殺
(同)
○火付
(同)
○盗賊
(元文5年極)
○関所破
(同)
○謀書謀判
 右の分、悪事いたし候証拠確かに候えども、白状致さざるもの並びに同類の内白状致し候えども当人(仲間の犯罪ではなく本人の犯罪について)白状致さざる者の儀
(享保7年極)
○詮議の決めざる内で、外の悪事が分明に相知れ其の科にて死罪に行われるべき者の事
(同)
右の外にも拷問申し付けべくしかる品もこれ有り候はば、評議の上申し付けべく事
(追加)(寛保3年、延享2年極)
 但し拷問口問いの節、立ち会いのものを差し越し、吟味の様子申し口を得(とく)と承り届け候よう申し付けべく事


84、遠島者再犯御仕置之事
(従前々之例)
○遠島のものが、島にて死罪以上の悪事いたし候においては→其の島に於いて死罪
 但し同類又は其の島に於いてねだり事いたし、或いはあばれ候類のものは島替
(寛保2年極)
○島を逃げ候もの→其の島に於いて死罪


85、牢抜手鎖外し御構之地え立帰候もの御仕置之事
(寛保2年極)
○牢を抜け出し候もの→本罪相当より一等重き申し付けべし
 但し牢番人は中追放
(同)
○牢屋が焼失の節、放ち遣わし立ち帰らざるもの→立ち帰らざるは咎に及ばず、本罪相当の仕置申し付けべし
(同)
○右焼失の節、放ち遣わし立ち帰り候はば→本罪相当より一等軽く申し付けべし
(同)
○手鎖外し候もの→過怠手鎖に候はば定めの日数より一倍の日数手鎖、吟味の内(間)に掛け置く者に候はば百日手鎖
 但し手鎖外し欠落いたし候はば本罪相当より一等重く申し付けべし
(同)
○同外し遣わし候もの→過料
(延享元年極)
 但し手鎖外し候もの欠落いたし候はば軽追放
(同)
○同預け候家主→過料
(延享2年極)
 但し手鎖外し候もの欠落いたし候はば、尋ね申し付け尋ね出さざるにおいては重過料
(寛保2年極)
○宿預のもの欠落いたし候はば→本罪相当の御仕置より一等重く申し付けべし
(従前々之例)
○御構いの地に徘徊いたし候もの→前の御仕置より一等重く申し付けべし
(享保元年、延享2年極)
 但し追放、所払等申し付け候ところ、直ぐに居住せし町村へ立ち帰り罷り在り候は、御仕置相用いざるものの事に候とて、入墨の上、最前の御仕置より一等重く申し付けべし
(延享2年極)
○御構いこれ有り候ものを隠し差し置き候もの→追放ものを隠し置き候はば江戸払、江戸払のものを隠し置き候はば所払
(同)
○御構いの地に徘徊いたし候上、悪事いたし候もの→入墨以上に申し付けべし、悪事候はば死罪、入墨に申し付けべく程の悪事にこれなくば前の御仕置より一等重く申し付けべく事
(従前々之例)
○預け置き候ものを取り逃し候もの→尋ね申し付け尋ね出さざるに候はば、過料
(享保2年、延享2年極)
○入墨を抜き御構いの地へ立ち帰り候もの→入墨の上前の御仕置より一等重く申し付けべし
 但し入墨以上に申し付けべき悪事いたし候はば死罪
(同)
○入墨を抜き遣わし候もの→敲
(追加)(寛保6年極)
○入墨になり候以後、またぞろ盗み致し候もの→死罪
 但し外の悪事いたし候はば重敲
(寛保3年極)
○一旦追放になり其の後御構い場へ立ち帰りあばれ候もの→死罪
(追加)(同)
○宿預けになり候上、立て難き儀を箱訴または越訴等いたすべくため立ち退き外へ宿を替え候もの→元宿へ引き返し手鎖申し付けべし
(従前々之例)
○追放等になり候儀は前もって存ぜざるに候えども、身元も承り糺さず請け人に立ち候もの→過料
○追放等になり候儀は前もって存ぜず、請け人これなく候ゆえ得(とく)と吟味も致さず店(たな=貸家)に差し置き候もの→過料


86、辻番人御仕置之事
(従前々之例)(延享元年極)
○廻り場の内にて金銀または雑物等を拾い隠し居り候番人→金子は一両より以上、雑物は代金に積もり一両より以上は引き廻しの上死罪、金子は一両以下、雑物は代金に積もり一両位より以下は入墨敲
(寛保2年極)
○廻り場の内にて人を切り殺し、或いは手負いさせ候を見逃しに致し相手を留め置かざる番人→中追放
(同)
○辻番所に於いて博奕 いたし候番人→遠島
(享保8年極)
○廻り場の内に捨て子または重病人これ有る節、外へ捨て候番人→死罪
(寛保2年極)
 但し倒れ死にこれ有るを押し隠し取り捨て候においては江戸払


87、重科人死骸塩詰之事
(享保6年極)
○主殺
(同)
○親殺
(寛保2年極)
○関所破
(同)
○重き謀計
(享保6年極)
 右の分、死骸を塩詰めの上御仕置、この外は塩詰めに及ばざる事

※註
重罪人が死亡した場合、塩詰めにしてその死体に刑を執行したのである


88、溜預ヶ之事
(享保7年、寛保2年極)
○牢舎申し付け候もの、最初より溜へ遣わせまじき候、しかなれど入牢の上重病のものは、御仕置伺い置き候ものにても溜へ遣わせ申すべき事
(寛保2年極)
 但し逆罪の者は病気にても溜へ遣わせ申しまじき事

※註
=ため、囚人の療養所で新吉原の裏と品川の品川寺北側の二ヶ所があった


89、無宿片付之事
(従前々之事)
○相渡すべき筋これ有るものは→引き取り人を呼び出し相渡すべし
(享保9年極)
○引き取り人これなきものは→門前払い
(従前々之例)
 但し病人は快気まで溜預け
○遠国の者、行き倒れの類→溜預け病気快気の上、万石以上は領主へ相渡すべし、御料並びに万石以下は其の所の親類呼び出し相渡すべし
(従前々之例)
 但し在所にて科これ有るか又は欠落並びに村方親類久離いたし、好身の者これなきにおいては門前払い
(享保6年、元文3年極)
○入墨敲にいたし候無宿遠国の者に候はば→領主へ科の様子申し聞かせ、わざわざ領地へ遣わし候には及ばざる旨申し達した上で、領主(江戸藩邸)へ相渡すべし

※註
久離=きゅうり、欠落した者との親類関係を断絶すること、これと似た言葉に勘当がある、これは在宅する者を追い出すこと、武家では久離を出奔久離、勘当を追出久離と呼び、町奉行所では久離を欠落久離、勘当を追出久離と呼んでいる
江戸の町人が久離するには、久離される者より目上の親類が家主五人組へ久離する旨を知らせた上で町名主へ届け出る、町名主はこれを吟味して後、久離しても構わないと考えると願書に加印する、願い出た者はこの願書を携えた上、さらに家主五人組の付き添いを得て月番の町奉行所へ願い出る、奉行所では願書の記載を読み問題がなければ久離を許可し久離帳に記載する、問題のある時は吟味方へ移して吟味することになる

在方(御料の)の久離は願書を代官所へ提出し、役人の吟味を経て問題がなければ許可し、その旨を公事方の勘定奉行所へ届け出、月番の勝手方の勘定奉行所へも写しを提出する、公事方勘定所では受理した旨を寺社奉行所と町奉行所へ通達する、町奉行所では久離帳に記入し、その謄本(書替と称す)を出すので、勘定奉行所はこれを代官所の役人へ交付し、代官役人は願い人にこれを交付する、寛政4年(1792)以降は寺社・町奉行所へ届け出ることはしなくなった

私領・地頭の支配地での久離は、願い出があると各領主・地頭が許可し、他領でも有効となるようその旨を三奉行所へ届け出て、町奉行所の久離帳に記載してもらい、その書替を受け取っておく

久離は大概は親が子を久離するのだが、手続きが面倒なのは久離せざるを得ない事態となったのには親にも責任があるとしたからのようだ、久離の効用は、江戸時代は縁坐(親類の連帯責任)の制度があったから、久離することによって刑罰を免れることができたのである、久離された子には当然相続権はなかった
勘当についてだが、勘当も口で告げただけでは効果はなく、これも久離帳に記載されることを要した

久離・勘当と似たものに「帳外」(ちょうはずれ)というものがある、これもまた不行跡者による後難から免れるために、村方において不行跡者を人別帳から除くことを指す、通常だと親類が久離を願い出る際に、村方からも帳外を願い出ることになる

久離は親族関係の断絶だが、領主・地頭の当該人に対する支配権はなくならない、帳外においては、当該人は領主・地頭の支配から脱することになり、他領で当該人が罪を犯し他領から照会があっても、領主は関係ない旨を伝えることができた、従って当該人が他領で罪を犯し捕らえられたら他領に仕置権があることになる、ただし当該人が他領で罪を犯し元の領地に立ち帰った際は旧領主は仕置権を行使することができた

幕末になると、私領で帳外とされた者が御料(幕府直轄領=天領)で罪を犯し捕らえられた場合、幕府はこれを旧領主へ送って仕置をさせた、これによってその程度にもよるが、帳外とした村方に後難が及んだなら帳外の意味はなくなったといえる
よく無宿とか無宿者とよぶが、帳外となった者が無宿・無宿者であり、久離となった者は無宿・無宿者と呼ばない、しかし、久離と帳外の願い出は同時に届け出されるのが一般的だったため、久離された者を無宿者とする混乱が生じたようである、わたし自身そのように「江戸期の吉祥寺」では記している、訂正はせず悪い見本として示しておく、が、お詫びはしたい

ついでなので人足寄場について記す、これは無宿の者を召し捕らえて吟味した結果、無罪となった無宿者と敲や入墨刑に処した無宿者を収容した上で、生業を授けて改悛させ正業に就かせようとしたもので、火付盗賊改長谷川平蔵の建議が松平定信に採用され、寛政2年(1790)に石川大隈守の屋敷裏の芦沼(石川島と佃島の間)約1万6000坪に寄場を建設し、「加役方人足寄場」と称したことに始まる、加役方とは火付盗賊改のことで当初は長谷川平蔵が管理したが、寛政4年(1792)にはその任を免ぜられ、以後は町奉行の下に寄場奉行が設けられ、これが管理することになった
寛政5年の一日平均した収容者数は約130人、文化10年(1813)も同程度だが、天保13年(1842)約430人、弘化2年(1845)約500人と増加していく、これは文政3年(1820)に江戸払以上追放刑を受けた者も収容するようになったからかと思われる、当初は褒美の資金や諸道具を与えられて正業に就く者も少なくなかったが、年を経るに連れ逃走する者が多くなったようである


(追加)
90、不縁之妻を理不尽に奪取候もの御仕置之事
(寛保4年極)
○婿養子に不幸不埒これ有りて差し戻し候以後、外の養子に致して娘に娶り合わせ候節、先夫(実家へ戻された前の婿養子)が加担人と催し(企み)参り、娘を奪い取り候においては→当人は死罪、加担人の内で頭取は田畑家財取り上げ所払、其の外は過料
 但し人にも疵付け申さず其の上養父方の者どもに詫び候はば、当人重キ追放


(追加)
91、書状切解金子遣ひ捨候飛脚御仕置之事
(延享元年極)
○金子入りの書状を請け取り道中にて切り解き遣い捨て候飛脚→金高の多少によらず引き廻しの上、死罪


(追加)
92、質物出入取捌之事
(従前々之例)
○八ヶ月内の質物は請け戻し申し付けべし、八ヶ月過ぎ候はば流しに申し付けべき事
 但し置き主と質屋が相対にて差し置き候はば格別(それが最善)の事
(延享元年極)
○利息相済まし置き候質物を請け戻すべく旨申し候えども、売り払い候由にて其の品相渡さざる質屋→質物請け戻させ過料
 但し質物の売り先相知らず候はば、元金一倍の積もりの代金を相渡させ過料申し付けべし
(従前々之例)
○一人両判の質物を取り置き、吟味になるべき品の由を承り、質物相返し預け金証文に仕直し其の上質帳不埒にいたし候質屋→家財取り上げ江戸払


(追加)
93、煩候旅人を宿送りに致候咎之事
(従前々之例)
○煩(患い)候旅人を療養も加えず、其の上宿継ぎに送り出し候においては→旅籠屋は所払、問屋は役儀取り上げ、年寄は重過料
 但し脇道にて問屋これなきにおいては名主役儀取り上げ


(追加)
94、帯刀致候百姓町人御仕置之事
(従前々之例)
○自分と(自らの分限と)帯刀いたし罷り在り候百姓町人→刀脇差ともに取り上げ、軽追放

※註
帯刀=天和3年(1683)以前は幕府から扶持をもらっている御用達町人などの帯刀(大刀と脇差)と、普通の町人が旅行や火事の際に限り帯刀することは許していた、しかしこの年から町人、御用達町人も含め大刀を帯びることは禁止された、が、脇差は平日に帯びることを許されていた、これに対して百姓は大刀はもちろん脇差すら平日に帯びることは許されず、重き吉凶の時(慶弔時)に限り脇差を帯びることは許されていただけであった、脇差とは一尺以下(約30a以下)のものを指したが、寛政期(1789-1800)頃からは茎(なかご)元にはめられた鎺(はばき)の際から一尺五寸以下のものを指し、それ以上は長脇差として禁止された、百姓でも江戸時代以前に武士であり仕官しなかった家柄の者、つまり郷士は帯刀を許可された、医師や相撲取りは大名旗本のお抱えの場合は帯刀が許され、お抱え医師はその大名旗本の領地以外でも帯刀を許される特権を持っていた、他は領地以外は認められなかったが、幕府から許された者はどこでも帯刀が認められた

ついでに苗字については、帯刀に比べて許される者が多く、江戸の町年寄はもとより、町名主や村の名主の中にも許される者があった、町医者も苗字は許された、村の孝行者が苗字帯刀を許された場合は帯刀は一代限りでも苗字は子孫も許された、ただし苗字帯刀が許されたから士分になったわけではなく、格式の上でのことなので身分は百姓で年貢は当然納入せねばならなかった 



(追加)
95、新田地え無断家作いたし候もの咎之事
(従前々之例)
○新田開墾地へ断わりなく家作いたし候もの→家作取り払い、過料


(追加)
96、御仕置に成候者欠所田畑を押隠候もの咎之事

(寛保4年、延享2年極)
○欠所になるべき田畑地面を押し隠すにおいては→名主は軽追放、組頭は所払


(追加)
97、御仕置に成候もの倅親類へ預ヶ置候内出家願いたし候もの之事

(従前々之例)
○御仕置になり候ものの倅で(縁坐によって)遠島や追放等に申し付け候もの、幼少のゆえ十五歳になるまで親類へ預け置き候ところ、出家にいたしたき旨を寺院より相願い候はば、伺いの上、出家に申し付けべく事
 但し出家になり候上、江戸徘徊仕らず、住居を定め置き他所へ参り候節は奉行所へ相届け、もちろん御朱印地または御由緒これ有る御目見(おめみえ)仕り候ほどの寺院へは住職仕らず(住職に就かず)、若し住持仕らず候ては叶わざる訳もこれ有ろう、公儀向きへ罷り出で候儀これ有り候はば、奉行所へ其の節伺いべく旨を申し渡す、右の段師弟ともに証文申し付けべく事

※註
住職=住持職の略
叶わざる訳=不都合な事情


(追加)
98、年貢諸役村入用帳面印形不取置村役人咎之事
(延享元年極)
○年貢諸役村入用帳面等を惣百姓へ見せず、並びに印形をも取り置かざるにおいては→名主は役儀取り上げ過料、組頭は過料
 但し名主組頭が私欲をこれ取るにおいては、名主は家財取り上げ所払、組頭は役儀取り上げ過料

※註
印形をも取り置かざる=承認の印形を取らずに放って置くこと


(追加)
99、軽き悪事有之もの出牢之上咎に不及事
(延享元年極)
○手鎖過料戸〆等を申し付けべく軽き悪事これ有るもの、吟味の内で六十日以上入牢を申し付け置き候ものの分は、出牢の節は右の咎を申し付けべく候えども、日数入牢いたすに付き宥免を命じ候旨を申し渡し別に咎に及ばず、同列の内で入牢いたさざる科人は相当の咎めを申し付けべく事
 但し所払や役儀取り上げ候類は、何ヶ月入牢候とも宥免の沙汰これ有るまじき事
(延享2年極)
○敲の御仕置になるべくものは、吟味の内で拷問申し付け候においては、おって咎に及ばざる事


(追加)
100、名目重相聞候共事実において強而人之害に不成は罪科軽重格別之事
○偽の薬種を商売いたし候ものは死罪、其の外の偽もので人命にかかわらざる儀は咎は軽き事
○枡秤を私に造り候とも軽重大小が本様に相違なきは、他の損失これなきゆえ其の咎め軽き事
○極貧のもの其の子を同輩の者の養子に遣わし候は、売り候も同然に候ゆえ養父がまた外へ売り候とも
人を勾引(かどわかし)て売り候とは異なる事
○人を殺し候ものを囲い置き候ものは本人同然の罪科に候えども、当座の喧嘩にて人を殺し其のものに頼られ、義理をもって囲い置き候類は咎軽き事
○総じて制禁を犯し候ものこれ有る時、証拠をもってなすべき訴えの謀書である旨を認めながら、或る人の作り名に判を押し候類は、欲心をもって人を欺き候とは異なる事
(延享元年極)
 右の類は名目に拘らず其の主意を糺し評議いたすべく事

※註
本様=幕府は江戸と京都に枡座(ますざ)を設けており、寛文9年(1669)以前は東は江戸升(ます)、西は京升を用いていたが、これ以降は江戸升の分量を京升と同一にして統一し、江戸枡座は東国33国を京京都枡座も西国33国を管轄することになった、枡座の印のない枡の使用を禁止し、江戸枡座は樽屋藤左衛門、京都枡座は福井作左衛門が管掌した
秤(はかり)に関してはこれも江戸秤座は守随(しゅずい)氏、京都秤座は神(じん)氏が製作・頒布・検定を管掌し、江戸秤座は東33国、京都秤座は西33国を管轄した
名目=ここでは物事の表層