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大奥の制度と力                                    江戸と座敷鷹TOP   江戸大名公卿TOP

 

給与
 奥女中は大別して将軍付きと、将軍の正室である御台所(みだいどころ)付きに分けられる。
 下の二つの表は、上が13代将軍家定に付いた奥女中の職制と給与、下は将軍家定の御台所篤子(後の天璋院)に付いた奥女中の職制と給与である。二表とも藍色の他に青色の文字・数字がある。これは職制職種に関しては、一方にあって一方にないものを青色にしてある。数字の青色は篤子付き奥女中の表にしかないが、これは将軍付き奥女中の同役と比べて低いことを示している。赤色の数字が一つあるが、これは篤子付きの奥女中のほうが将軍付き奥女中より、全般に待遇が低い中、唯一高いものであったので記しておいた。
 給与を計算するにあたって米価の相場が判らないと、概算することもできない。本表の出所は(財)徳川黎明会の深井雅海氏が著わした「江戸城をよむ」(原書房)に挿入された表を利用させてもらっているが、この表は「学習院女子短期大学紀要」第30号に松尾美恵子氏が発表されたものから作成したとのことで、正確な年号年月が判然としない。
 幕末の米価は1年の差で銀10匁ほど違ってくる。しかし、幸いなことに将軍家定と篤子の婚姻期間は1年半ほどしかなく、安政3年(1856)12月に輿入れし、安政5年7月に家定は薨去している。よって、ほぼ妥当な米価は安政4年当時のものでいけるだろう。

■13代将軍家定付き奥女中(総数185人、各数は御半下35人、火之番20人、御三之間15人、御次13人、御広座敷12人、使番12人、表使10人、呉服之間9人、御仲居8人など)

職階 

切米 

合力金 

扶持 

薪 

 

湯之木 

 

五菜銀

上臈御年寄  50石  60両  10人  20束  15俵  20/15束  有明1半夜1  200目1分 
小上臈  40  40  5  15  10  17/13  有明1半夜1  200目 
御年寄  50  60  10  20  15  20/15  有明1半夜1  200目1分 
御客応答  25  40  5  10  6  10/9    124目2分 
御客応答格  25  40  5  10  6  10/9    124目2分 
御中臈  20  40  4  10  6  10/9    124目2分 
御錠口  20  30  5  10  6  10/9  有明1半夜1  124目2分 
表使
表使格御右筆頭 
12  30  3  10  6  7  有明1半夜1  124目2分 
御次頭  10  30  3  8  4  6  有明1  100目 
御右筆  8  25  3  8  5  6  有明1  121目2分 
御錠口介  8  30  3  8  4  6  有明1  100目 
御次  8  25  3  8  4  6  有明1  100目 
切手書  8  20  3  8  4  6  有明1  100目 
呉服之間頭  8  30  3  8  3  6  有明1  100目 
御三之間頭  8  25  3  8  4  6  有明1  100目 
御伽坊主  8  20  3  8  3  6  有明1  100目 
呉服之間  8  20  3  8  3  6  有明1  100目 
御広座敷  5  15  2  7  3  5  有明1   70目 
御三之間  5  15  2  7  3  5  有明1   70目 
御末頭
御末頭格使番頭 
5  15  2  7  3  5  有明1   70目 
御仲居
御仲居格使番助 
5  7  2  6  2  5        半夜1  50目 
火之番
火之番格使番 
5  7  2  6  2  5        半夜1  50目 
使番  4  5  1  3    2     半夜半  15目 
御半下  4  2  1  3    2     半夜半  12目 

 給与の概算を出す前に、各諸手当について説明しておこう。
 切米は幕府の蔵米から支給され、旗本・御家人の蔵米取は春・夏・冬の3回に分けて支給されたが、奥女中は5月と10月の2回に分けて支給された。切米は1年の給与。合力金は春日局の建議から設けられた。幕府初期に諸大名が競って将軍家に献上物を進呈し、その際に大奥の女中たちの末端に至るまで贈物があったが、家光の時代に幕府が大奥への進物を制限した。春日局は諸大名から貰わぬ代わりとして、衣服の援助金という名目の手当を支給するよう願い、この制度ができた。1年の給与だが、12等分して毎月支給された。
 扶持は詳細をいうと、男扶持と女扶持に分かれている。上の将軍付きの上臈御年寄の扶持は10人だが、中味は男扶持5人・女扶持5人、火之番の2人は男扶持1人・女扶持1人である。最下級の使番と御半下(おはした、「御末」とも呼ぶ)の1人は女扶持1人である。この最下級二役を除く他は、男同然に見なされており、男扶持を奥女中は給与されている。
 どういうことかといえば、上臈御年寄が支給される男扶持5人・女扶持5人は、男扶持1人を除く他は、部屋方つまり使用人の分であり、男4人・女5人を使用することができることを示している。火之番は男扶持1人・女扶持1人の支給だから、女1人を使用することが認められているわけである。ただし、これは資格であって使う使わぬは別である。なお、男扶持は1人1日玄米5合、女扶持は同様に3合で、毎月30日分を現物支給された。
 湯之木とは風呂の燃料。斜線で区切ってあるのは、奥女中の身分の高い層は上風呂と下風呂の二つをたて別けていたのである。さらに1日2度入浴する者もいた。一つ風呂の者や隔日入浴の者、数人で一つ風呂を使う者など、その束数が異なってくるのである。
 油とは部屋の行燈の油。有明は終夜燈、半夜は半夜燈で、「有明1半夜1」は行燈3ヵ所4升2合の量である。五菜銀は味噌と塩の料で銀で支給された。五菜の語源は不分明。銀玉と称して30日ごとに支給された。「200目1分」とは銀200匁+15匁(公定相場)である。
 では、安政4年の米価相場を米1石=銀95匁として、上臈御年寄と御半下の給与を概算で出してみよう。上臈御年寄の年給与は約204両、御半下は約12両2分弱。1両を現在の20万円として換算すると、御年寄は4080万円、御半下は250万円となる。1両を現在値に換算する時に、現在の米価を基準にする人がいるが、米穀通帳がないと米が買えなかった30年前ならともかく、スーパーで手軽に買える現在、いかがなものかと思う。適切な換算は年収から概算したほうが、わたしはいいと思っている。これについては当サイトがリンクしている「コインの散歩道」を参照してほしい。
 御半下の250万円は短大・高卒の新入社員の年収に近いであろう。御年寄の4080万円から9人分の扶持を引くと3600万円ほどになる。これは日本の主要企業の社長の平均年収3282万円より300万ほど高いだけである(03年度の財団法人労務行政研究所の調査結果)。つまり、奥女中の最高位と最下級は、現代の社長と新入社員の差と同程度なのである。


■13代将軍家定正室篤子付き奥女中(総数60人、各数は御半下13人、御中臈7人など)

職階 

切米 

合力金 

扶持 

薪 

 

湯之木 

 

五菜銀

上臈御年寄  50石  50両  18人  15束  10俵  17/13束  有明1半夜1  200目 
小上臈  40  40  5  15  10  17/13  有明1半夜1  200目 
御年寄  50  50  8  15    17/13  有明1半夜1  200目 
中年寄  20  40  4  10  6  10/9  有明1半夜1  124目2分 
御中臈  12  40  4  10  6  10/9  有明1半夜1  120目2分 
御小姓  12  30  3  10  6  10/9  有明1半夜1  120目 
表使  12  30  3  10  6   ― 有明1半夜1  124目2分 
御右筆  8  25  3  8  5  6  有明1  121目2分 
御次格御前詰  8  25  3  8  4  6  有明1  100目 
御次  8  25  3  8  4  6  有明1  100目 
呉服之間  8  20  3  8  3  6  有明1  100目 
御三之間  5  15  2  7  3  5      ―
御末頭 5  15  2  7  3  5  有明1   70目 
御仲居
御仲居格
    御茶之間 
5  7  2  6   ―  5        半夜1  50目 
御茶之間 4  7  2    2  5        半夜1  50目 
使番  4  5  1  3    2     半夜半  15目 
御半下  4  2  1  3         半夜半  12目 

職制
 
将軍や御台所に直接お目通りできる、いわゆる御目見以上は、「御広座敷」を含めて上の役職がそれで、御三之間以下は御目見以下となる。
 表には記してないが、最下級の御半下の下に、
「御犬小供(おいぬこども)というのがある。これは15歳〜23歳までの女子で、雑用一切を務める役である。ただし、歴史家によっては御犬子供を部屋方、つまり奥女中の使用人とするケースも見られる。それでは順次説明していこう。

上臈御年寄(じょうろうおとしより)
 大奥最高位だが実権はなし。儀礼や茶の湯などの催しの際の将軍・御台所の相談役を務めた。御台所付きの上臈は輿入れの際に、里方から随従してきた公卿の娘が就いた。家定正室の篤子の場合は、薩摩藩主島津家の一門島津忠剛の娘として生まれているが、藩主斉彬の養女となり、さらに五摂家筆頭近衛家の忠熙の養女となり、名を敬子から篤子と改めて将軍家へ嫁いできているから、お付の主要な奥女中のすべてが近衛家だったとは思われないが、3代家光を含めたそれ以降の歴代将軍御台所はいずれも宮家・五摂家の娘(養女も含む、11代家斉御台所も薩摩藩主の娘で近衛家の養女を経て輿入れしている)であり、上臈には公卿の娘が就いたわけである。御台所付きの上臈は御台所に万一のことがあれば、その身替わりになる覚悟をもって務めたという。
 
 では将軍付きの上臈は公卿の娘であったか。家定付きの上臈御年寄は3人いた。万里小路(までのこうじ)、歌橋、飛鳥井の3名で、各々の宿元(身元保証人)は万里小路は林肥後守、歌橋は佐藤兵庫、飛鳥井は三枝靱負。佐藤と三枝の身分は寄合だから家禄3000石以上の旗本である。林肥後守は悪評もあるが11代家斉の寵臣林忠英(ただふさ)を思わせるが、彼は弘化2年(1845)に死没している。安政4年(1857)当時に林肥後守と称しているのは忠英の四男で請西(じょうざい)藩1万石の藩主忠交(ただかた)であるが、この年には15歳にもなっていない。ということは、万里小路が大奥務めをした当初の宿元が林肥前守ということになろう。林忠英は文政8年(1825)に旗本から大名に列し、天保12年(1841)家斉の薨去後に減封され隠居を命じられている。万里小路は天保12年以前に大奥務めを開始したことになる。当時の実力者を宿元としていることから、万里小路は公卿万里小路家の娘(ないしは近親の公卿の娘)ということになろう。
 万里小路はなぜ家定付きの上臈なのか。どこから湧いてきたのか、これである。家定の正室は篤子が初めてではなく、その前に鷹司家の娘任子と一条家の娘秀子の2名がいる。鷹司任子とは天保12年に婚姻するも、任子は嘉永元年(1848)6月に疱瘡から薨去、一条秀子とは嘉永2年に婚姻するも、翌嘉永3年6月にこれまた薨去するのである。
 鷹司任子とは天保12年の婚姻で、林忠英が罷免された年だが、任子は天保2年(1831)には江戸へ下向してきているから、林忠英が宿元になっても不思議ではない。ということで、万里小路は鷹司任子の江戸下向時に随従してきたものと推測できる。主人の任子が亡くなった後も退職して京都へ帰らなかったのは、引き止める者がいたからであろう。それとも身替わりになる覚悟で残留したのかもしれない。

 他の上臈の歌橋、飛鳥井はどうか。歌橋は将軍家定の乳母から累進してきた者である。公卿家の名を付けているから公卿の娘ということではなく、いくつかの通り名があり、その中から賜ったという説もある。飛鳥井は公卿ではなく五位以下の公家の娘かもしれない。上臈の下の小上臈を見てみよう。「やち」という名で宿元は本多隠岐守となっている。本多隠岐守は膳所(ぜぜ)藩6万石の本多家のことで、安政3年に致仕した本多隠岐守康融(やすあき)ではないかと思う。引っかかるのは康融と前代の康禎(やすつぐ)が正室に薩摩藩主の娘を娶っていることである。小上臈の「やち」は御台所付きの奥女中ではなく、家定付きなのである。
 将軍家定は身体が不自由で病気がちで継嗣ができなかった。よって継嗣問題が起き、慶喜を推す一橋派と、紀州徳川家の慶福(よしとみ)を推す紀伊派(南紀派とも称す)が対立する。篤子は一橋派が大奥工作に送り込んだという説に乗るとすると、「やち」は篤子を援護するために送り込まれた工作員という推測もできる。ま、この工作は失敗に終わるが。「やち」のみならず結構な人数が送り込まれたのではないか。しかし、大奥は倹約を嫌う。一橋派は名君揃いで、大概名君といわれる藩主は倹約令を発布してから、改革に取り組む。一橋派の工作を阻んだのは江戸城大奥最後の年寄といわれる滝山とされている。
 だが、一橋派の首領水戸斉昭が大奥に心底嫌われていたのが、本当のところかもしれない。斉昭は部屋住みの頃、藩主となった兄斉脩(なりのぶ)に嫁した将軍家斉の娘峯姫付きの上臈唐橋を犯し妊娠させた不行跡があるのだ。女色に卑しい男は、名君であろうが大奥からは嫌われる。ちなみに唐橋の姉(義姉とも)は、天保の改革で大奥に倹約を迫る水野忠邦に、妾の有無を問い、手もなく追い返した大奥上臈姉小路である。
 どうも話がどんどん逸れていく。ともあれ、家定付き奥女中の幹部クラスの宿元を以下に紹介し、次のページで簡潔に、各職を説明することにしたい。

職階 

名前 

続柄 

宿元 

宿元身分 

上臈御年寄  万里小路  由緒  林肥後守   
 上同 歌橋  由緒  佐藤兵庫  寄合 
 上同  飛鳥井  由緒  三枝靱負  寄合 
小上臈  やち  由緒  本多隠岐守   
御年寄  岩岡  又甥  遠山安芸守  大御番頭 
 上同  浜岡  由緒  土屋虎之助  小普請組 
 上同  瀬川  甥  美濃部又三郎  小普請組 
 上同  滝山  弟  大岡孫右衛門  小納戸 
御客応答  花沢  兄  青木伝之丞  御小姓組 
 上同  歌山  兄  平塚善次郎  御先手頭 
 上同  袖沢  甥  竹川善兵衛  御書院番 
 上同  藤山  父  内藤雄三郎  大御番 
御客応答格  関山  弟  諏訪安房守  御小姓頭取 
 上同  亀岡  兄  筧清右衛門  御小納戸 
 上同  三保野  由緒  近藤金之丞  御小納戸 
 上同   三保島  由緒 太田内蔵頭  中奥御小姓 
 上同  飯島  甥  神谷藤十郎  小普請組 
増人(定員外) 成瀬  父  坪内杢之助  御書院番 
御中臈  すわ  弟  中野讃岐守  御小姓 
 上同  とは  兄  都築幾太郎  小普請組 
 上同  すす  父  竹本長門守  御小姓 
 上同  しか  父  堀美濃守  御鑓奉行 
 上同  やよ  兄  遠山安芸守  大御番頭 
 上同  みき  父  内藤宮内少輔  御小納戸頭取 
 上同  つよ  兄  太田勝太郎  小普請組 

※続柄にある「由緒」は仮親・仮親族の意であろうが、父・兄としてある中にも養女・養妹の可能性がある。