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栖原屋20 

■安永7年(1778)霧多布に渡来したロシア遠征隊の中に、日本語を話すロシア人がいた。暴風で漂流した日本人が教える日本語学校で学んだから話せたわけだが、これについては次回以降に記すことにし、大晦日の今回はロシアの東漸について触れておきたい。
 ロシア遠征隊はイルクーツク総督府の命をうけて渡来した。渡来する90年ほど前にロシアは清国に阻まれる。その後は南下から東漸へ転換して、カムチャッカ、アレウト(アリューシャン)諸島、アラスカを発見することになる。この一帯に黒貂、猟虎などの高価な毛皮獣を求めて、一攫千金を狙う商人たちが進出する。「高価」とは、ヨーロッパ諸国や清国で毛皮が高く売れたのである。ロシアにとって毛皮は主要な輸出品だった。

■シベリア以東の征服に大きな役割を果たしたのは、土着民から強制的に毛皮を貢納させるコサックや毛皮商人の小集団だった。モスクワ政庁とイルクーツク総督府は、彼らが開発した地域へ官吏を送り込み、町を建設し行政組織に組み入れていったのである。
 こうした東漸開発の方法は、官吏とコサック、商人の間に賄賂と汚職を生じやすい。カムチャッカの官吏などは、長官から下役まで賄賂漬けだったという。ロシア遠征隊が渡来した折に飛騨屋が調査したという話がある。詳細は伝わっていないが、ロシアとの交易の可能性を密かに探ったのではないかと、わたしは勘ぐっている。一方では公訴に利用するのであるから、最果てに利を追求する商人は強かである。

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