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栖原屋17

■公訴するにあたり飛騨屋は金主である栖原屋に相談する。飛騨屋は嘉右衛門に3000両近いカネを横領されたわけだが、その処置は店からの追放にすぎなかった。この程度の軽い処分としたのは、飛騨屋主人の代替わりによって、松前藩上層部との直接交渉を大畑店支配人の嘉右衛門に任せきったがゆえ、使途不明金の公私の線引きが難しかったものと思われる。
 軽い処分でよかったとすべき嘉右衛門だが、その後の行動は蛇蝎のごとくであった。嘉右衛門の側からすれば、店に大きな利益をもたらすには相応のカネを使わねばならぬことを理解しない後見人所左衛門への腹立ちと怨嗟があったのかもしれない。
 ともあれ、飛騨屋は嘉右衛門の不法一件と2802両余りの返済をもとめて地元飛騨高山の代官所へ安永8年(1779)12月訴え出る。松前藩とすれば内済にしたいところであるが、飛騨屋はこれを拒否した。

■きっぱり白黒をつけようというわけだ。商人がトラブルで藩(士)を訴えた場合、外聞を気にする藩によって内済に持ち込まれるのがほとんどで、新宮屋が蝦夷檜伐採権を没収されて松前藩を訴えた折も内済となっている。あえて事を荒立てたのは、その裏に勝訴となる自信が余程あったものとみていいだろう。
 天領飛騨高山代官所を支配するのは幕府勘定奉行所。飛騨屋と嘉右衛門の白州での対決、関係する松前藩士の吟味を経て天明元年(1781)に沙汰がくだされる。嘉右衛門は死罪。松前藩士については松前藩の工作によって処分は藩に任され、嘉右衛門が徒士格勘定下役に就き藩士と名乗ったのは、嘉右衛門の嘘であり彼が勝手にやったこととされた。この一件は嘉右衛門のみに留め、類は松前藩士に及ばなかった。責は町人一人に負わされ一件落着となった。
 次回は飛騨屋の勝訴への裏づけに迫る。

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