江戸の豪商18                                          江戸の豪商TOP  |  江戸と座敷鷹TOP  江戸大名公卿TOP

 

栖原屋15

■1回休みとなりましたが、1回でよかった。前回の復習をしておきます。飛騨屋を裏切った大畑店支配人嘉右衛門は、蝦夷檜伐採権の入札を飛騨屋と競っているうちに運上金が倍にはね上がった。飛騨屋から横領したカネを藩上層部へ賄賂として使っていたであろう嘉右衛門は、おそらく運上金の減額があると内心思っていたかもしれないが、藩上層部の思惑は江戸の材木問屋新宮屋を嘉右衛門の金主に据えて、新宮屋の財にたかることで逼迫した藩財政を立て直すことだった。
  早い話が嘉右衛門はあて馬として藩上層部に利用されたわけだ。当時の身分制もあるが、主人を裏切った人間は軽んじられるということだろう。さて、藩上層部から甘い無心先と見なされた新宮屋だったが、藩の都合のいい強請ともいえる要求ー上納した蝦夷檜伐採運上金の他に江戸上屋敷普請と幕府払下米の調達ーを断る。そして、運上金を上納しているにもかかわらず、蝦夷檜伐採権を没収される。

■藩の理不尽な沙汰に大いなる不審不満を抱いた新宮屋は、安永2年(1773)に幕府へ公訴する。幕府に内情を探られたくない松前藩は新宮屋と内済するため、家老蠣崎佐士、目付湊源左衛門、檜山奉行明石半蔵らを免職処分、嘉右衛門を国外追放とする。
 この処分によって新宮屋の蝦夷檜伐採権は復活。財政難が解決しない藩は飛騨屋へ再び目を向ける。飛騨屋は懲りずになんと幕府払下米代金を用立てるのである。飛騨屋は蝦夷檜山から撤退するにあたって、先納の運上金と用立金など4795両の返金を条件にしていたが、返金は微々たるものだったようで安永3年(1774)には、藩への貸付金が8183両になっていた。
 藩ではこれら飛騨屋からの借財の引き当てとして、藩主直領の「場所」を飛騨屋に請け負わせる。絵鞆(えとも)、厚岸(あつけし)、霧多布(きりたっぷ)、国後(くなしり)、宗谷の5ヵ所である。飛騨屋にとって初の場所請負だったが、これが後々命取りとなる。

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