農村に文化を育てた人々4
■村の手習塾で読み書き算用を学んだ子供たちは、15歳になると若者組に入った。若者組は若衆組、若居衆、若者連中などとも呼ばれ、15歳から30歳までの青年で組織されていた。 若者組に加入する「若者入り」は元服であり、村の行事として欠かすことのできない義理事だった。若者入りの式は若者宿(集会所)や社寺、若者頭などの家で行なわれたが、村の古老や父兄に伴なわれて村内各戸を挨拶回りして披露することもあった。 一人前になった証しとして若者入りした者は、働く力のあることを示さねばならなかった。一日に一反(300坪)の田圃を打起こしたり、米俵一俵(約60`)を肩に担いだり、神社の力石(ちからいし、約80〜90`)を持ち上げたりして見せた。
水喜が子供の頃、「若乃花物語」(初代)という漫画があった。ビックリしたのは12、3歳の若乃花が家計を助けるために、米俵を両肩に載せて運んだという逸話だった。昔の人は本当に底力があったようだ。
■若者組には階級制度があった。年齢と経験を基準にして下から、使番、小若衆、中老、宿老などがあり、若者頭が統制した。若者条目という規律があった。目上に対する不作法、懐手(ふところで)の禁止、出稼ぎ先での彫物の禁止、肩手拭や用談中のあくびの禁止、喧嘩口論の禁止など詳細に定め、寄合の度ごとに読み聞かせ遵守を義務づけている。 若者組が主体となって取り組んだのは、祭礼や年中行事の運営で、氏神の神輿を担ぐのは若者組の特権だった。村祭では勧進元となって知恵を絞り、歌舞伎や操り芝居、草相撲などの興行を仕切った。 遊びの面ばかりでなく、村の道普請や堤防工事に力を発揮した。米俵や力石はただの力自慢のパフォーマンスではなく、村の相互扶助を滞りなく行なっていく上で欠かせないことだった。また、夕食後は若者宿に集まり藁仕事をしながら、村の生活に必要な職業・生活に関する訓練が先輩からなされている。 |