農村に文化を育てた人々1
■7歳まで水喜が暮らした村には尼寺があり、保育園も営んでいた。二人の尼さんがいて村の女たちの相談にも乗っていたようだ。江戸時代の大きな寺院や神社は幕藩権力と結びつき、寺社領地の百姓は年貢賦役を課されていたわけだが、その末端の小寺社は農村文化を育成する担い手だった。 村役人を務めるような百姓は文字を知っていたが、僧侶や神主はその他に国学、漢学、短歌、俳句を教え、祭祀・祈祷はもちろん人生訓などを講じたであろう。殊に村以外の別の世界を見聞しているのもこれらの人々で、彼らの話は山村に暮らす百姓などには現代のテレビ以上に刺激溢れるものであったろう。 いつの時代も病気は厭わしいもので、民間療法は彼らの祈祷技術とも関係が深いことから、暮らしの知恵も加えて日用便利帳のような形で残っていることが多い。
■暮らしの知恵として衣類のシミ抜き法を記したものを、歴史学の北原進氏が紹介している(現代語訳は水喜)。
油シミの類い 黍殻(きびがら)を焼いた灰を水に浸し、その灰汁(あく)に麩糊(ふのり)を入れて洗うとよい 醤油が付いた場合 小麦の粉を練って、唾を付けてもみ落とすとよい 硯墨は 飯粒を付けてもんだ後に干し、日向にて水を付けて落とすとよい 腫物膿水(できものうみ)は 古い菅笠を焼いた灰から灰汁をつくり、それで洗うとよい 煙草のヤニ 薄い味噌汁にて洗うとよい 血の付いた場合 生姜を卸しそれを裏表に付け、もみ落とすとよい 渋の付いた場合 明礬(みょうばん)を水に浸し、大豆をすって明礬水に入れた後、一夜浸(つ)けておくとよい
いずれも百姓の身近なもので、百姓が一般的に着る濃い紺色の衣服 に効果的な方法だった。 |