結婚デモグラフィック
■安永2年(1773)から明治2年(1869)の97年間に美濃国西条村で結婚(再婚は除く)した男女は153組いた。階層別→地主(持高10石以上)、自作・自小作(持高2〜10石)、小作(持高2石以下)に分類すると男子・地主層の結婚平均年齢は26.9歳、自作・自小作層28.9歳、小作層28.3歳。女子・地主層は19.4歳、自作・自小作層21.1歳、小作層23.2歳。男子・地主層は下層より結婚年齢が1〜2歳ほど低いが、女子のほうにその傾向が有意で4歳ほどの差がある。 安永2年(1773)から天保6年(1835)に生まれた女子158人を、結婚平均年齢の他に出稼奉公の経験の有無を加えてみると、地主層・奉公経験有りは24.3歳、同層・奉公経験無し21.2歳、自作・自小作で奉公経験有りは27.1歳、同層・奉公経験無し21.0歳、小作・奉公経験有りは25.6歳、同層・奉公経験無し22.3歳。奉公経験無しの女子は階層に関係なく早く結婚している。奉公経験有りとの差は3〜6歳であり、結婚平均年齢の差は階層による差というよりも、奉公経験の有無からくると言える。
■結婚した夫との年齢差であるが、地主層8.9歳、自作・自小作7.9歳、小作6.4歳。地主と小作の差2歳余りを有意の差と言えるかどうかであるが、年上の女房は地主層にはなく小作層には最大で10歳、2、3歳の差が多いことを考えると、下層には選択肢はなく、女なら誰でも可という状況があったようだ。
「不縁戻り」、離婚は安永2年〜明治2年の全期間で結婚数の11l弱。9組に1組の割合だ。離婚件数26の内、14件は子供がおり妻が子を産まないことが第一の理由とは言えず、子を産まなくとも長い期間夫婦である場合も見られる。夫婦継続期間の平均は19.6年。離死別した場合、男は40歳前でほとんどが再婚し、女は35歳以下で過半数が再婚している。女36歳以上は厳しかった。女子の結婚年齢から見た生涯出産数は、16歳で7.35人、20歳6.22人、24歳4.95人、28歳3.73人、32歳2.62人、35歳1.87人である。
西条村は美濃の山間部ではなく平坦部に位置し周囲に多くの出稼先もあり、冷害の東北地方や天明3年(1783)浅間山大噴火による土壌酸性化の北関東で慣習化された堕胎・間引きの形跡は見られないと言われる。しかし、上記のように小作農は結婚年齢が遅く年上の女房と結婚することで、子供の数が少ないという結果を生んだ。意識的か無意識かは判らないが、人口増への抑制メカニズムが働いていたわけである。このメカニズム、不況が深まるにつれ少子化が進んだ現代とよく似ている。 |