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農村デモグラフィック 

■美濃国西条村に生まれた百姓の生涯についてはすでに述べたが、この村のデモグラフィックには触れなかった。歴史民勢学の速水融氏が「江戸の農民生活史(NHKブックス)で、安永2年(1773)〜明治2年(1869)の97年間にわたる西条村百姓の動きを調査している。
 
村の人口は調査当初、男181、女185の366人、寛政3年(1791)に297人と減少、寛政12年(1800)は336人と回復、文化14年(1817)は296人と減少、天保5年(1834)に330人と回復、その9年後の天保14年は277人と減少、最終年次は381人。寛政天保期の減少は凶作と流行病、文化期は出水である。
 世帯数は初め93戸、天保11〜13年に66戸、最終年次は78戸。減少は60歳以上の一人世帯の消滅と無高小作層の絶家。過半は持高2石以下ないしは無高の小作層であり、出稼ぎ中に生家が絶える例が多かった。60歳以上一人世帯は消滅するが、天保11年(1840)に太兵衛95歳、文政元年(1818)に八右衛門女房101歳などの長寿者がいる。二人とも小作層の出身ではなく、調査年次以前の生まれではあるが。

■年齢別の死亡分布では、殊に1、2歳の死亡率が約16lと高いが、10歳を越えると極端に少なくなり、50歳代半ばから増え始め70歳代半ばが頂点となっている。人生50年を生き長らえたのは出生者の45〜55l、また、出生時における平均余命は男38.6年、女39.1年であった。
 階層別にみた97年間における一世帯の出生と死亡の頻度は、地主・権兵衛家では出生21回、死亡18回、自作・丈次郎家は出生15回、死亡10回、小作・小八家はそれぞれ8回ずつ。回数の多寡は結婚年齢が早いと子供も多い関係が地主・権兵衛家にみられ、自作農と小作農の違いは、小作の世帯内に出稼ぎが多かったことによると思われる。
 西条村97年間の延べ出生数は993人、死亡数722人、村外からの流入523人、村外への流出770人、出現不明4人、消滅不明13人であった。出生数が死亡数を上回っているが、流出数が流入数を247人上回っている。これは出稼奉公による流出である。出稼ぎ流出の詳細移動については次回で述べる。

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