敵討の作法2
■敵に首尾よく出会った場合、その土地の領主に敵討の許可を願い出ねばならない。願いを受けた領主は、敵と名指された者を召捕らえ、これを留置する。敵討を願い出た者も留置し、その上で幕府へいかに処置すべきか伺出る。 幕府では町奉行所の敵討帳と言上帳に帳付けされているか、敵討を願い出ている者の主家から三奉行所(寺社・町・勘定の各奉行所)へ家臣の敵討を許可する届出がされているかを調べた後、願い出た事実と相違なければ、伺を出した土地の領主宛てに敵討をさせるように指示する。 指示された領主は、柵や矢来などで敵討の場所を設営し、検使などを差し向けて立ち合わせることになる。 両者立ち合う前に、木椀で湯漬(昆布と勝栗が添えられていたかどうかは分明でない)を与え、鎖帷子(くさりかたびら)の着用を確認し、水盃をさせ、両者が盃を投げるのを合図に勝負開始となつたという。細かな作法があったわけだ。
■検使役人は時に太鼓を打って休息をとらせたという話もあり、なにやら優雅な按配ではあるが、こうした恵まれた敵討は稀であったろう。ほとんどは突然に敵と出喰わしたであろう。 こうした突然時には、その土地の領主に願い出ている時間はないので、その場で名乗りをあげて勝負しても構わないことになっていた。ただし、京都築地(ついじ 築地塀に囲まれた御所などの殿舎群)の中、江戸曲輪(くるわ 江戸城外堀の内側)の内、上野寛永時、芝増上寺などでの勝負は禁止されていた。 突然出合って討ち果たした場合は、その土地の領主にすぐに届け出て、届出を受けた領主は検使を差し向けて事情を問い調べ、届出人が他領の場合であれば幕府へ指図を仰ぐことになる。 例えば、急いで敵を追ったため三奉行所へ届け出る前に敵が徘徊しているのを認めた場合、その土地の支配役人に敵討の理由と出会い次第に討ち果たす旨の書付を封に入れて差し出さねばならない。そうしないと、「喧嘩」(けんか)と見なされ牢に入れられてしまう。さて、封書を受け取った土地の支配役人は、封のまま幕府三奉行所へ送致し、奉行所でこれを帳付けする段取りとなる。 敵を討つ前に敵が死んだ場合もあったろう。この際は、敵の死亡の事実を証明できれば、敵討同然の取扱いをうけた。すなわち、藩庁へ帰参できたのである。 |