戦争観2
■アテネ・オリンピックにおける柔道、水泳、レスリングなどの個人種目に比べて、サッカー、バレー、野球などの団体種目が不調であったことから、「日本は個人ゲームに強くチームゲームに弱い」と評する意見が多かった。
そして、それは「日本人全体の意識が個人主義的な方向に向かってきた影響の現れ」だとか、「現代の若者はテレビゲーム、携帯電話世代であり、テレビゲームで一緒に遊んだとしても、それは個々の技量を競うだけで、チームスポーツのように共通目標に向かう意識を育てるものではない」とWeb上で論評する人も少なくないようだ。
現代の若者論は脇においておくとして、昔から日本人は短期決戦型であり、持久戦には向かないのではないか、とわたしは思っている。勝負が決する時間からみても、個人種目は短時間で決まり団体種目は長時間を要する。
■スポーツも戦いである、戦いとくれば戦国時代。武田信玄と上杉謙信は1553年〜1564年にかけて5回も川中島で戦っている。単純に平均すると1、2年休んでは1年戦っている計算になる。5回戦って勝敗がつかなかった珍しい戦いである。両者の戦力が均衡していたといえばそれまでだが、5回の戦いのほとんどが7月に始まり10月に終わっていることに注意したい。田植えの後に開戦し稲刈り前に終戦しているわけで、両軍に農兵の多かったことの証しといえよう。
信玄、謙信は戦国を代表する大名だが、この両者でさえ長期戦で勝つことで得られる成果よりも、兵力・食糧を失うことの経済的大きさを恐れたのである。従がって戦国時代は短期決戦、即戦即決の奇襲戦法が大いに用いられ、確たる史実でもないのに第4回川中島の戦いでは、独り謙信が信玄の本陣を奇襲し両雄が対決したなどと現代に伝わる。昔から日本人は1対1こそ本当の戦いだと思い込んでいるのだ。 |