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古書と幕府医学3                                                    江戸と座敷鷹TOP  江戸大名公卿TOP

 

医心方3

■前回述べた
半井氏と多紀氏について、若干の訂正を含めて補足しておきたい。半井氏は朝廷医官として残り、多紀氏は幕府医官へ転身したと記したが、これは誤りで両氏とも庶流があり、ある一家は朝廷医官の道を歩み、またある一家は幕府医官の道へ転進したとするのが、正しい書き方であった。ただし、一部疑問もある。
 「官職要解(講談社学術文庫)によると、朝廷の「典薬頭」は和気氏と丹波氏の子孫が代々任じたとある。江戸幕府にも「典薬頭」という役職があり、これも和気氏と丹波氏の子孫が務めたとして、半井氏ともう一家の名が出てくる。この名が多紀氏ならいいのだが、「今大路」氏なのである。
 和気氏の子孫→半井氏
 丹波氏の子孫→多紀氏
 であった。丹波氏の子孫には多紀氏の他に今大路氏というお公家さんのような一家がいたことになる。しかし、「公卿諸家系図(続群書類従完成会)を見ても「今小路」は載っているが「今大路」はない。

■「江戸幕府役職集成(雄山閣)では「典薬頭」の項に、「和気、丹波両氏の後裔の半井出雲守と、今大路右近が勤めるもので、毎年正月、屠蘇を朝廷へ献上する。医家として格式が高く、半井家は千五百石、今大路家は千二百石であるが、共に小普請組支配に入って、ほとんど営中に出ない」と記してある。「小普請組」とは3000石以下の無役の幕臣が所属する組織である。つまり、幕府典薬頭はお飾りだったわけだ。お飾りにしては高い給与で、江戸幕府は格式を第一としたことが知られる好例ともいえる。
 さて、それはともかくとして「今大路」氏だが、一説に織豊時代に「天下の名医」と称された「曲直瀬道三(まなせどうさん)の子孫というものがある。面白い。曲直瀬道三は天皇家や足利将軍家、戦国大名を治療するなど高く評価された医師だが、氏素性のはっきりしない男である。なんとも「今大路」氏は胡散臭い。要領よく徳川家に取り入り、典薬頭をものした感が強い。
 ともあれ、「今大路」氏は丹波氏の流れではなく、朝廷同様に幕府も和気・丹波両氏の子孫を典薬頭に就けたとする諸資料の説は、どうやら誤りのようなのだ。では丹波氏の子孫の多紀氏は?それは「医心方」へ話を戻す次回に。

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