■寛文6、7年頃(1666-67)の水戸藩家臣団の組織状態。徳川光圀が家督を継ぐのが寛文元年だから、光圀初世時の家臣組織である。職掌88、藩士1070名ほど。 1000石以上を上士(上級武士)、500石以上を中士、100石以上を平士とすると、人数割合は上士5.2%、中士5.6%、平士89%となる。 文政7年(1824)の平士の常禄は大体200石といわれ、寛文6、7年頃と大差ない。万延元年(1860)の士分以下も加えた総数は1800名ほどになるが、士分の数は若干の増加に過ぎず、総数の増加は徒士(かち)など下士(下級武士)の増加と、分限帳に記載されない低い身分の者の増加である。
※なお、上表の石高は水喜が、「近世史の研究
第四冊」(伊東多三郎著 吉川弘文館)に掲載されている、「水戸藩の成立」などを参考にして出した目安に過ぎないことをお断りしておく。 |