古書と幕府医学2                                                    江戸と座敷鷹TOP  江戸大名公卿TOP

 

医心方2 

■針を使う中国の無痛手術は日本の「医心方」から学んで生まれたものらしい。この【日本の「医心方」】という表現は、実は変である。
 平安時代に完成した「医心方」(984年)は、本来は天皇の健康を強化するために編纂された医学書で、引用されている典籍が1000部に及び、この内の200部が中国の隋・唐時代のものなのだが、当の中国ではこれらの医学書は残滅してしまい、明治時代に日本の「医心方」を写本したそうなのである。
 中国では今でも復元したものが発行されているが、日本の医学は皮肉なことに幕末明治以降「医心方」から離れていく。とはいえ、明治以前までは「医心方」がチヤホヤされたかというと、そうでもなく紆余曲変したようなのだ。

■現在宮内庁書陵部に全30巻残っている「医心方」は、平安時代から鎌倉時代にかけて写本されて日本各地に広がったらしいが、江戸時代には宮中の秘本とされていた。ということが、1980年代に「医心方」を初めて現代語訳した槇佐知子さんの「今昔物語と医術と呪術(築地書館)に紹介されている。
 正親町(おおぎまち)天皇の時(在位は1557〜1586=織田豊臣全盛期)に病が癒えた功により典薬頭(てんやくのかみ)を務める半井(なからい)氏へ「医心方」が下賜された。この時代には天皇が宮中医師の棟梁へ下賜するほどの稀書になっていたわけだ。以後「医心方」を半井家は抱え込み門外不出の書とし、他の医学専門家の間では垂涎の書となっていく。
 これに対して、なんとか内容を知りたいと密かに熱望していたのが多紀一族。多紀氏は「医心方」を編纂した丹波康頼の子孫で、江戸時代に幕府奥医師へ転身する前まで和気氏(子孫は半井)と典薬頭を交互に務める家だった。

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