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 江戸府内と江戸市中                                                                江戸と座敷鷹 | 江戸大名公卿net 
 

■江戸の範囲について詳しく時系列的に解説しているのが、東京都公文書館のこのページである。
 このなかに「御府内外境筋之儀」という文言がみえる。よって、「江戸府内」という言い方は江戸時代からあったと思われる。
 しかし、「江戸市中」という言い方は時代小説や時代劇映画・テレビしか見聞きしたことがなく、果たして江戸時代からあった文言かどうかこころもとない。
 ある歴史家は「江戸市中」という文言は江戸時代の書物にも見られると自著に書くが、その出典を明らかにしない。こうして書いているわたし自身は、「江戸市中」を使用していないと思われるかもしれないが、自分のサイトを検索したら18回使用していたから、いい加減なものである。
 もし、「江戸市中」という文言が小説や映画、ドラマのなかで初めて登場したものなら、わたし自身、大反省である。

 今年手に入れた本に、「江戸府内・絵本風俗往来」(菊池貴一郎著 青蛙選書9、昭和40年8月刊)がある。明治38年12月に東陽堂から刊行されたものの覆刻版である。著者について青蛙房主人が、はしがきにこう記している。
「何も知るところがない。専門学者でもなく画工でもなく、市井の好事家であること、天保以降江戸末期のみずからの見聞を、ありのまま写し集めたとあるから、当時すでに七十を越えた老翁であろうことが、推し量られるだけである」。
 著者は江戸の庶民として生まれたようだ。実はこの本に、「江戸市中」について著わしたページ(184P)があったのである。以下に引用する。

「江戸市の大略
江戸市中の中央は、江戸城とす、江戸城内濠(うちぼり)以内を内曲輪(うちくるわ)と称し、外濠以内を外曲輪と称す、外曲輪以外を総して市中といひたり(その)市中の中央は日本橋とす、日本橋より数丁(一丁は109メートル)四方、東は両国川(両国橋辺りを流れる隅田川)、西は外濠、北は筋違橋、神田川、南は新橋の内を下町と唱へ、其(それ)以外を総(すべ)て場末(ばすえ)といひたり、其内麻布、赤坂、青山、四ッ谷、市ヶ谷、小石川、駒込、本郷、辺(あたり)を山の手と唱へり、(後略)」

 これによると、「江戸市中」とは外曲輪以外を言い、日本橋を中心に数丁四方を下町と称し、それ以外を場末と言うが、さらに場末のなかに山の手と言っている場所がある。つまり、市井の好事家=庶民の生活感覚からすれば「江戸市中」は、朱引の内側の墨引より狭く、
「江戸払の御構場所とされる江戸」よりも狭いのである。「市」には、人が集まるところ、という意味があるが、場末とは言え山の手と称した場所には、人の集まりがあったのであろう。