■火事 火事は江戸の頃は毎年十月下旬から昼夜の別なく多くなる。大火もあって激しい大風の時は昼夜とも焼け続けて消えないこともある。これは板葺屋根で木造の家が建ち連なっているためで、いざ火事となると火の粉が飛び移りやすく、火元の火勢より飛び火の火炎が激しくて大火になってしまう。 風の変化に従って八方へ飛び広がるので、火煙に包まれて非命の死を遂げる者が数多くいる。この頃の消防は火事だといえば直ちに消し止めようとした。飛び火が八方に広がり、手の付けようがなくなるが、ここかしこの飛び火による火事を消し止め続け、遂に撲滅したのは消火夫の功ということを今日の人々は知っている。
■防火の備 武家には十人火消と称する役がある。その昔は十人だったのを二人減らして八人にしたのだが、古称のまま十人火消といっている。また俗称に同役といった。この役は徳川家旗本が勤める役で一組百人に近い人数で御城郭内外八ヶ所の高台の地に配置して官邸を設け、高い火の見櫓を構え、ここに火の見番役が昼夜交替で詰める。火事の煙が空へ移ると火の遠近方角により合図の太鼓を打つ。その打ち方には、出火の遠近と方角、大火小火より異なるが、太鼓で報ずるや否や、出馬した火消役の主人に従う。組同心のの士、消火夫など火に向かうこと実に迅速である。 この十人火消の目印となる纏(まとい)は銀地に黒漆で主人の定紋か印を描き出し馬簾(ばれん)のないかなり大きいものである。消火夫を臥煙(がえん)と俗称するが、いずれも命知らずの剽悍(ひょうかん)な動きをする者が多く、みな総身に刺青を彫り、寒中寒さを知らず暑中暑きを覚えぬという風情である。
※十人火消=上に十人火消は十人の火消のように記している。「その昔は十人だったのを二人減らして八人にしたのだが、古称のまま十人火消といっている。また俗称に同役といった」、この部分は誤りである。十人火消とは、江戸城の防火のため旗本に命じて定火消隊を江戸城周辺に配置しており、この配置数が十ヶ所あったことから定火消のことを十人火消ともいったのである。 |