■江戸年中行事&風俗                                                   江戸と座敷鷹TOP  江戸大名公卿TOP

加賀鳶の初出(はつで)
 本郷五丁目にある加賀中納言殿の御上屋敷の火消は、一番手二番手三番手の三組の備えがある。その消防鳶の者は一組二十人にして五尺ばかりの鍵(とびぐち)を持ち、雲に大稲妻の色ざし半纏に鼠色の革羽織を着し、蒲色(かばいろ)の脚半に白紐黒足袋草鞋(しろひもくろたびわらじ)で足を固める。
 目代(めだい)という頭役が四人おり、同様のいでたちで小刀(わきざし)を帯び手鍵(てかぎ)を携えている。
 鳶二十人を二列にして真っ先に目代役、次に纏(まとい)持ち、纏持ちは手代わりとも四人いる。纏は金銀の箔を置き、一つは太鼓に剣、一つは太鼓に扇の地紙で、二本とも豊公(ほうこう、豊臣秀吉)より拝領したものゆえ武士の警固がある。纏の次に騎馬馬脇の武士が従い、次に槍、次に梯子水桶龍水などを持つ中間が続く。以上を一組の備えとする。
 目代役の鳶と纏持ちの鳶の髪を加賀鳶髷(かがとびまげ)と称して比類なき江戸一流のものである。みな六方振り(手を振り高く足踏みする)で歩き、身の丈六尺三寸以上にして顔色たくましく力量すぐれし者を選んで鳶としている。
 例年正月初出の式を御本邸の八丁以内に梯子を立てて曲乗りをする。加賀鳶の曲乗りは無類の上手で江戸正月の花といわれる。

太神楽(だいかぐら)
 丸一(まるいち)及び大丸の二家の太神楽は、山王祭礼の時に将軍家の御上覧の栄を受けることから、二家は太神楽の巨擘(きょはく)とされる。二家に次ぐのは海老一というものなり。その他はこれら三家より数段劣る。三家は諸大名家の奥庭または御物見窓下へ召されて彼駕籠鞠(かのかご)や開き万燈(まんとう)などの曲芸を演ずる。その手練の軽妙さは筆の及びところにあらず。