■菊見 天保以後は菊人形を作り見物人を呼ぶということが皆無となった。ただ、花壇で菊を育てることは益々盛んである。染井・千駄木辺りの将軍家御用植木師や諸侯方御出入の庭園師は、木石の名品が多くある手入れの行き届いた広い屋敷の庭園花壇で金銭に左右されない技量を示し、育て上げた菊花はまことに見事であり、その美しさに驚かされる。されば菊花を好み愛する客には、閑静であり賞賛するに値する花壇菊といえよう。
■九月節句 九月九日は重陽の祝日で五節句の一つである。衣服は九月朔日より袷小袖(あわせこそで)を着て、本日からは綿入小袖に移るのは毎年のことである。遊芸を習う者は必ず五節句には師匠の家へ行き賀儀を述べることになっている。 専(もっぱ)ら遊芸が流行したのは琴曲(きんきょく)、三味線、手踊りの三つ。琴曲に山木、山勢、山田などが流行る。三味線に富元、長唄、常盤津、清元、が流行る。手踊りに藤間、西川が流行る。笛・太鼓・鼓(つづみ)も行われ、これら諸芸を習う女子は六、七歳から習い始め十六、七歳まで学ぶ。覚えた芸で御殿奉公奥勤めの見習いに上がる。 遊芸を習うにあたって二、三を挙げると、琴は家柄のある女子の他は習う者はおらず、手踊りは費用が高くつき、笛太鼓も費用のかかるものである。 |