■盆踊り この盆踊りが江戸市中の他にあるのを聞いたことがない。芝久保町に溝口侯の屋敷があり、芝愛宕下に牧野侯の屋敷がある。両侯とも御国は越後である。また芝増上寺山中で僧にならずに俗勤めをする者の八、九分が越後人である。また、増上寺辺りには越後の国より出て来た人が多い。 そして七月十四日、十五日、十六日の三夜路上に集まって盆踊りをするのである。最初一人か二人が酔いにまかせて月下に歌うと、忽(たちま)ち三、五人が出て来て踊り始める。そのうち十人、十五人となり果ては三、四十人となる。みんなが手を揃え足を揃えて、円を描くように踊る。そのうちに太鼓を打ち酒樽を叩き、男女が入り混じって踊る。 踊る人々は余念なくただ夜の更けるのも知らず、いつ終わるのかも判らない有り様である。夜も白み明け烏の声が聞こえ出すと、驚いて散会するのである。翌日夕方もまた上記のごとくである。 この踊りは芝大門前と西久保広小路のみで見られ、他では見られない。
■薮入 正月十六日と同じく、七月も十五日、十六日の両日である。芝(増上寺)山内山門前の松原で、薮入りで暇をもらった小僧らの遊ぶ光景が見られる。
■おやんなさるかお精霊さん 十五日の夕方より十六日夕方まで、「お迎(むか)お迎お迎」と呼びながら来るのは魂棚を撤去した後の供物を貰い歩く者たちである。担った籠に供物がいっぱいになると、海辺に持って行き供物を仕分けて廃物利用する。よって芝浦の海岸は魂棚の供物で山を成すことになる。 |