■江戸年中行事&風俗                                                   江戸と座敷鷹TOP  江戸大名公卿TOP

樽御輿
 子供が担(かつ)いで騒ぎ回れる樽御輿はいずれの祭礼にもあるものだが、神田、日本橋、京橋辺りの樽御輿を第一とする。その作り方は酒の空樽を御輿の胴とし塩籠を御輿の屋根に用い、草鞋を鳳鳥(ほうとり)の背にし渋団扇(しぶうちわ)を翼に使い、楊枝を嘴(くちばし)で作り、藁たわしを鈴に見立て樽の下に棒を付けて担ぐ。この他、思いついた器物を応用した御輿が多い。

南伝馬町天王祭
 六月七日は神田社地(神田明神境内)の天王一の宮の祭がある。南伝馬町二丁目の御旅所(おたびしょ)へ神幸(神体がお出掛けになること)があり、十四日に帰輿(きよ、かついで帰ること)する。行列飾りなどは大伝馬町と同じだが、ただし四神(しじん、青龍・朱雀・白虎・玄武)の鉾は宮元の町内へ置いて行列に加えない。
 当祭礼で驚くのは鞘町の巨大な唐人幟と、往来の道幅いっぱいに掛ける大行燈である。また、中通りの北南と東西の横町の四辻へ四方行燈を掛ける。この行燈は四方へ画を描いた燈籠で、画はいずれも武者の図で浮世絵の達者の筆になる。江戸において類のない作り物といえる。

小舟町天王祭
六月十日に神田社地の天王三の宮は小舟一丁目の御旅所へ神幸があり、十三日に帰輿する。行列飾りは大伝馬町と同じである。

 当祭礼で有名なのは橘町に立つ二王尊の像を染め出した大幟で、人目を驚かすほど巨大である。また荒布(あらめ)橋際に立つ、「天王おまつり」とかな文字で書いた幟は蜀山人(しょくさんじん、大田南畝のことの考案で中村弥太夫(なかむらやだいふ、幕府御畳方棟梁、隠居後の号を仏庵)の筆になる。かな文字の幟は江戸においては、当所の他には絶えてなくなったものである。また照降町(てりふりちょう)にある三段の軒提灯も他にはない。
 この御輿は渡御(とぎょ、おでましの意)の道筋が多いため御旅所へ到着するのは十日の夜の深更(深夜)か暁(あかつき、夜明けのこと)になってしまう。
 日本橋魚河岸へ渡御するや当所の魚問屋は桟敷を設ける。桟敷の上に数千本の団扇を積んで待ち受け、わが家の前に御輿の神幸があるや団扇をまき散らす。彩り五色の団扇が空へ舞い上がり落下する光景は、まるで秋の紅葉が散るようで心地よいものである。