■大通りの深夜 宵の口に雑踏する通り一丁目二丁目三丁目を始め、その他の毎夜混雑の激しい町々は、春夏により違いもあるが、夜五ツ半時(午後九時)より四ツ時(午後十時)という時刻に両側の露店は、遅れるのを恥として急いで店を片付けわが家へ帰る。同時に講釈場寄席も終わるので通行の人も次第に途絶えていく。いよいよ深更(しんこう、深夜の意)に及ぶにつれ、両側の商店の屋根が高く間口が広いことや、道の幅の広かったことを知る。 通り町には、「夜明し」という酒、飯を商う露店が町内の大店の軒下を借りて年中毎日夜店を張り、東雲(しののめ、夜明けの意)前まで商いを行っている。これは行客(こうかく、道を行く人の意)の便利を考えてのことで、夜が寂しくなるにつれ店から皿や丼(どんぶり)を扱う音が高く響き、時々駕籠屋が帰って行く影が遠くに見えるなどは、通り町のありふれた深更の光景なのである。
■夜半の通行犬に苦しむ 江戸市中の夜半過ぎの通行に四つの害がある。第一は試し斬りといって中国筋の武家方が人を傷付けること。第二は物取りの賊。第三は酔漢(すいかん、酔っ払いの意)。第四は犬が吠え付くこと。試し斬りは不意を襲われて非命(ひめい、天命ではなく意外な災難で死ぬこと)を遂げる。物取りは賊が白刃を振り回す。酔漢は逃げ去るのみ。犬が吠えるのは、犬が多い江戸のこととて古人の言うように一犬吠える時は万犬これに倣(なら)うので、犬が怪しいと見たら伏していた首をもたげるや吠え始める。近隣の犬はみなこれに倣い終(しま)いには数丁四方から吠え立てる。万一これを防ごうと石などを投げたりしたら、いよいよ怒り盛んとなり足元へ駆け寄り噛み付いてくる。 行く先々で犬どもがあらん限りに吠え付くのは、まことに力が尽き恐るべきことだ。 |