■江戸年中行事&風俗                                                   江戸と座敷鷹TOP  江戸大名公卿TOP

大川筋水垢離(おおかわすじみずごり)
 梵天(ぼんてん、祈祷に用いる幣束のこと)というものを作り、町々の若衆が大川(隅田川)に大伝馬船を浮かべて漕ぎ出す。山伏が法螺貝を吹き鳴らし、若者が向こう鉢巻に新調の染半纏と勇ましい出で立ちで、「奇妙頂礼(きみょうちょうらい)」と声高に唱えて水垢離(神仏祈願のため冷水を浴び身体を清浄にする)する。
 終わると町内へ引き上げ、梵天の幣を町内の各戸ごとに配布する。悪気を払うので端午の節句の早朝に使う幣に、赤白青のものや白のみのものもある。また長さ一丈余りの大木太刀を押し立てて水垢離する者もいる。いずれもその勢いは、天魔が恐れるように見える。
 この節は霖雨中にして晴天が少なく、傘下駄の雨具が必要な時節である。端午過ぎて霖雨が晴れるや暑気の日々が続く。工商業に就く人々は少し閑(ひま)な時節となる。

両国川開
 五月二十八日は両国川開なので、鍵屋が打ち揚げる青龍流星十二提灯の仕掛けや、客別の打ち揚げ花火などがあって、終夜賑やかである。
 数日前より船宿の船はみな売り切れとなる。その夜は日暮れ前から花火見物する大小の船が川筋より漕ぎ寄せるため、両国川(両国辺りを流れる隅田川)は船で埋まる。その混みようは船を渡り歩けば向こう岸へ着けるほどだ。西岸の並び茶屋は画灯籠(えとうろう)を出し、軒に吊った提灯は数限りなくあり、川の両岸は点燈星(てんとうぼし)のようである。
 三味線笛太鼓の音が雷のように聞こえるなか、花火が一発揚がるや玉屋、鍵屋の掛け声は、山が崩れるごとくに響いて来る。
 花火が終わって遊び船が残らず引き上げると同時に、明け烏の声を聞くというのは、この川開きであり、その繁昌賑やかなこと説明の必要もないであろう。川開きは花火ではなく、その繁昌さにあると言えよう。

柳橋芸妓煙火(やなぎばしげいこはなび)を避く
 芸妓の江戸随一は吉原とする。吉原芸妓に次ぐのは柳橋である。例年両国川開きで花火を打ち揚げる当夜は、柳橋の芸妓は川開き客を避けて場末の地に行くため、柳橋には芸妓たる者が居なくなる。これを芸者売り切れとして客を断わる。その実は、売り切れたのではなく、川開き客は柳橋芸妓の嫌うところなのである。川開きの日は芸妓らはみんな素人のように身をやつして根岸鶯春亭(ねぎしおうしゅんてい)などに遊ぶのだ。涼風の静かなる閑散を愛す柳橋芸妓は一見識ありと、粋士たちは一層彼女たちを贔屓(ひいき)にしたのである。