■江戸年中行事&風俗                                                   江戸と座敷鷹TOP  江戸大名公卿TOP

正月元旦初日の出
 高輪、愛宕山、神田湯島などの見晴らしのよい場所には近辺の人々が集まり、初日の出を拝す。これらの人々の衣類は派手なものではなく、木綿でも絹であっても新調したものであった。

将軍家門松御飾
 江戸城内外三十六見付御門の正月の松飾は手軽なもので、芝・上野の両御霊廟と聖堂、浜御殿なども同じ松飾なり、ただし、両御霊廟には〆に海老は使わない。
 松飾に使う竹は葉を落とし穂先を切る。松を添える松の根回りに四本の杭を並べて、太縄で松の根を繋ぎ固めるのである。
 松飾が恒例となったのは天正元亀の頃、神君家康が浜松城におり、武田信玄と合戦した際、敵方信玄側が元旦の発句に、
 松かれて竹たぐいなきあした哉(かな)
 
と送り越してきた。
 このとき御前に酒井左衛門尉(さえもんのじょう)が詰めており、その発句は間違えていると、
 松かれで武田首なきあしたかな
 と詠んだ。
 ところで、佐竹右京大夫上屋敷は下谷三味線堀にあるが、この御門には松飾はせず、麻裃を着けた武士を御門の左右に着座させ七草までの七日間交替で勤めさせている。佐竹の人飾と称して正月の名物なり。
 肥前佐賀の松平肥前守の江戸屋敷は山下御門内にあるが、門飾りは鼓(つつみ)の胴といって精選した稲藁で鼓の胴のごとく編み作ったもので、左右のくくりたる真ん中に海老、橙(だいだい)などを結び、松竹に添えて立ててある。また、奥州弘前の津軽土佐守の本所二ツ目にある上屋敷の御門飾は真ん丸な肥えた青竹を切った、切り竹飾の尤物(ゆうぶつ、素晴らしい物)である。